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史跡巡り(安芸高田市)

9月28日、安芸高田市に行ってきました。
広島駅から三次ライナーに乗り電車に揺られること55分。何かイベントがあったようで、賑やかな車内でした。

(国司右京亮墓所)
安芸高田市国司にある国司右京亮墓所は、少し分かり辛い場所にあります。
向原から車で安芸高田市に向かう途中、左手に見える國司衛生という会社を目印に、左へ曲がればすぐ国司右京亮墓所に辿り着きます。



藝藩通志によると、元々は休照庵と呼ばれる国司家の菩提寺でした。
しかし、有相譜には
"(前文略)法名久正藝州国司村瑞泉寺に葬る 瑞泉寺を改めて久正庵と号す"
という一文もあり、もしかすると、当時はこちらの名前で呼ばれていたのかもしれません。

近くには、吉田町教育委員会による看板が立ててあり、国司家の由来を説明しています。



(看板アップ。結構最近に建てられたものでした)

こちらのお墓は七代元相までのもので、それ以降は、山口県山口市にある伊賀地村、山口県宇部市奥万倉の天竜寺に葬られています。
七代元相は150回忌施行にあたり、十五代正久によって天竜寺に墓碑が建立されました。


(国司右京亮屋敷跡と思いたいところ)


(国司家墓所は写真の白い車の左あたり)
お墓から少し歩くと、国司右京の屋敷があったと伝えられる場所があります。
藝藩通志の国司村の地図にそれらしき場所が載っていますが、1705年の「高田郡村々覚書」には「今は畠となっており、詳しいことは分からない」と書かれており、なんとなくこの辺りだろうかと想像するしかないようです。
写真には写っていませんが、これよりもう少し左側に赤川筑前の屋敷があったという話もあります。



(斜め後ろから)

参考:
藝藩通志
高田郡史 資料編
有相譜
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折角だからまとめたら、という知人の一言で始めたブログです。
歴史についてあれこれ話していますが、全て個人の意見です。ご注意ください。

書いてる人:泉
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